ブリッジルーツの日本・中国・韓国見聞録

著:秋山理恵(弁護士)

【第121回】「転ばぬ先の労働法」 

※本記事は亜州ビジネス2018年2月19日第1795号に掲載されたものです。

―第21回:会社が従業員を訴えたところ、不当訴訟と判断され返り討ちにあった事例 
(横浜地裁平成29年3月30日判決)ー

1 事案
 入社9ヶ月ほどの新卒新入社員(昭和63年生まれの男性。システムエンジニア)Yが、入社後の就労環境が原因で精神疾患を発症したため、コンピュータのソフト・ハードウェアの設計・製造・販売等を目的とするX社を退職した。後にX社は、Yが退社後すぐに別の会社に転職したこと等を捉えて、うつ病ではないのにうつ病であると虚偽の事実をねつ造して退職し、就業規則に違反して業務の引き継ぎをしなかったことが不法行為に当たると主張し、Yに対し、Yの欠勤によりA社からの支払いが減額されたことの損害20万円,A社から増員が取り消されたことの損害1080万円等合計1270万5144円の損害賠償等を求めた(本訴)。これを受けて、YはX社ないしその代表取締役によるYへの退職妨害、本訴の提起および準備書面による人格攻撃が不法行為ないし違法な職務執行に当たるなどと主張して、X社に対し330万円の損害賠償請求を求めた。


2 裁判所の判断
  1. Yは,X社代表者らと退職の話を始めてから2週間余りを経た平成27年1月7日に不安抑うつ状態と診断されているだけでなく,同年6月20日には希死念慮を訴えてストレス障害により医療保護入院し,28年5月2日には一般的にいう「躁うつ病」と診断され,間もなく自殺を図っており,Yは,X社代表者らと退職の話をし始めた時点で既に不安抑うつ状態にあったものと窺われ,それが虚偽のものであるとはいい難い。仮に,Yが不安抑うつ状態でもないのに躁うつ病である旨を述べたために,X社において,民法627条2項所定の期間の経過前の退職を認めるとともに,就業規則に定める業務の引継ぎをさせる機会を逸することになったとしても,それにX社が主張するような損害は生じ得ない。また、Yが躁うつ病である旨を述べたかどうかにかかわりなく,一定期間経過後には雇用の解約申し入れの効力が生ずることになるのであるから,X社主張の損害とYの行為との間に因果関係は認められない。
  2. Yの行為によってX主張の損害は生じ得ないから,X社主張の損害賠償請求権は,事実的,法律的根拠を欠くものというべきであるし,通常人であれば容易にそのことを知り得たと認めるのが相当であるところ,それにもかかわらずYの月収(額面約20万円)の5年分以上に相当する1270万5144円もの大金の賠償を請求することは、著しく相当性を欠き、不当訴訟といえる。
  3. もっとも,Xの主張する、退職妨害行為,人格攻撃等は本件においては認められない。したがって、Yが本訴の提訴直後から,不安,不眠等が続いて希死念慮を訴え,ストレス障害であると診断されて入院し,その後も双極性感情障害であると診断され,自殺を図るなどしたことなど本件における事情を総合考慮すると,本訴提起によってYが受けた精神的苦痛の慰謝料を100万円と認めるのが相当

3 ポイント
 会社は、Yの行為により、①取引先から支払の減額を求められたことによる損害20万円、②取引先より、3名増員することの打診を受け、Xも了解して、その方向で話が確定していたが、増員が取り消されてしまったことにより1年分の損害(受注予定額から人件費を差し引いたもの)1080万円、③X社従業員が何度も客先を訪問して謝罪したり、Yの穴埋めのための手配等の作業を余儀なくされたことによる損害(交通費及び人件費)25万7540円、④他の従業員が穴埋め作業を余儀なくされたことによる損害21万0583円、⑤他の従業員が休日出勤、深夜作業を余儀なくされたことによる損害23万7021円、⑥他の従業員の単価を月65万円から40万円に減額して4か月間受注しなければならなくなった損害100万円を主張しましたが、すべて因果関係がないとされ、主張が認められませんでした。


4 転ばぬ先のチエ
 本件は、従業員の退職に伴い、会社が従業員に損害賠償請求をしたところ、かえって従業員から反訴請求され、従業員からの反訴が認められたという、いわゆる「返り討ち判決」と呼ばれているものです。退職の際にトラブルが起こることは少なくなく、会社から退職した元従業員への損害賠償請求したいというお考えの社長さんは多いかと思います。しかし、従業員には退職の自由、職業選択の自由があり、損害賠償請求をした場合に本件のように返り討ちにあう場合がありますので、慎重な検討が必要です。

以 上